人にどう思われるかばかり考えてきた人生でした。親や姉が言ったことは全て正しいと思っていました、先生や先輩が言ったことは全て正しいと思っていました。本やブログに書いてあることは全て正しいと思っていました。もし自分と意見が異なったのならば、間違っているのは私の方だと。私の経験不足と知識不足と勉強不足と、思考力の足りなさが原因だと。だから、人にすぐに影響を受けてきました。人の言ったことが正しいと思ってしまうのです。きっと私はすごく洗脳されやすい人間なのでしょう。
 
年下と関わるのはすごく苦手です、今まで自分より下の年次の人と関わった経験がほとんどありません。そのせいかもしれません。家族の中でも末っ子で、父は勉強ができて真面目、母は地頭が良くて頭の回転が早くて、姉は勉強ができて思考力が深い。浅くて薄っぺらくて馬鹿なのは一番年下の私だけです。頑張って頭が良くなろうとしました、頭のいいふりをしようとしました。けれどそんなことはできないのです。小中学生くらいならちょっと真面目にやっていれば頭良くはなれますが、徐々に徐々に大人になるにつれて、ボロが出てくるものです。私は私が何を言っても、馬鹿な人間が浅い知識で吠えてるだけの戯言のようにしか思えないのです。だから、自分の意見を言うのが馬鹿らしくなって、恥ずかしくなって、言えなくなるのです。
 
だけど、馬鹿でもいいから自分だけは自分の意思を信じてあげなければならないと思いました。いくら母が、父が、姉が、友人が、先輩が、教授が、私の周りの人間全員が「それは最悪だ」と言っても、私が最高だと思っているならば「最高だ」と言わなければならないのです。そこで私が、「最悪かもしれない」と思った時点で私はまた自分に嘘をつき、空虚な心で、自分の思い描く道から外れた道を歩く羽目になってしまうのです。きっとその道は、私の周りの人間から見たら比較的真っ当な道に見えるでしょう。私が「最高だ」と言えたならば、「あなたが最高だと思うならそれでいい」と言ってくれる人が少しは出てくるでしょう。だから、私だけは、私に嘘をついてはいけないのです。いわば試しているのです、「それは最悪だ」と言われて「最悪かもしれない」と思ってしまった瞬間、私の意思は説得力を失うからです。確かに私の意思は存在するのに、ないものとして扱われてしまう。だから空虚になるんです。なんだっていいんです、なんだっていいから、どれだけ反対されても、私の意思は正しいと主張する強さが必要なんです。
 
きっと私は最初から迷ってないのです。迷ってないのに、人がどう思うか考えてしまうから、迷わされてしまっているだけです。そんな生き方をしてきたから人は私に意思がないと思っています。けど私には意思があります。もしぶつかって、その人と一緒にいられなくなったら、一緒にいなきゃいいんです。とても優しくて自分にはもったいないくらい素敵な家族だけど、私が意思を貫くことで一緒にいづらくなったのなら、疎遠になってしまえばいいんです。いつか家族が死ぬ時、あるいは私が死ぬ時、もっと一緒にいればよかった、疎遠になんてしなければよかったと、きっと後悔するでしょう。でも、どちらか選ぶしかないんです。選択肢が一つしかないと思っている現状の方がよっぽど悪だと、そう思いませんか。
 
もっと素直に生きればいいと思うんです。強情なら強情になればいいんです。負けず嫌いなら負けず嫌いになればいいんです。隠さなくていいんです。その時その場所で、人が何を思うかを考えてしまうから、時と場合によって自分の性格が変わり、意思が変わってしまう。結果私と言う人間がどんどんわからなくなり、私の精神が乖離し、最後には虚無感でからっぽになるのです。だから、素直に生きるべきだ。初めて転校した時の経験のせいで、私には小学生の時から猫かぶり癖があります。転校前はわんぱくリーダーだったのが、猫かぶりして静かで落ち着いた子になってしまいました。2回目の転校でも同じことをした結果、自分自身がわからなくなって、たくさんの自分自身を制御できなくなって、破綻し始めて、自分がわからないから諦めて自分を作らなくなりました。自分を作らなくなったので、自分という人間がどんな人間なのかわからなくなってしまいました。
 
そんな私が自分自身を取り戻すには、素直に生きるしかないのです。猫を被らないように、人がどう思うかを気にしないように、意識して自分のままの自分を曝け出すしかないのです。その集積がきっと「私」です。すごく性格が悪くて人から嫌われる「私」がそこにはいるかもしれません。多分、そうなったらとても辛いと思います。でも今まで自分をさらけ出してこなかった罰なのです。自分の素と周りの人間との折り合いをつけることを十数年してこなかったツケが回ってきたんです。そんな、嫌な奴が私だったとしても、その素を自覚できただけマシだと思うんです。無知の知ではないですが、素を自覚して初めて、いいところを残して、悪いところを直すことができます。いいところも悪いところもわからない、その場凌ぎを繰り返す状態では、ずっと空っぽで、生きづらいままです。