この世の中は何もかも全てが限界なんだなって思った。

 

今いる人間も幸せにできないのに、新しい命なんかいない方がいいと思う。

しかし、新しい命がなければどんどん切迫していくのも事実。

でもそれはつまり、後の世代に負担を押し付けることが決定してるのであって、

もっと静かに、徐々に、器を小さくして、満たされたまま緩やかに破滅できないものかと思う。

 

死ぬことが、もっと苦しいことじゃなくなればいいのにな。

誰にでも、いつでも、起こりうることが、自分だけでなく周りの人間もひどい苦痛に苛むものだなんて、おかしいよな。

苦しみから逃れるための死をどうにかして許容できないか。

「それではみなさん、さようなら。ばいばい。」って言って死ねるような死生観にみんながならないかな。

延命なんてせずに、死ぬべくして死ぬことが幸せだって思える世の中にならないかな。

人間の生死のサイクルはもっと早い方がいいのかも、人間50年の時代に戻ってさ。

50年生きようが70年生きようが、変わらないって。

人間はその一生で何かを成し遂げるなんて不可能なんだから。

この長い長い人類の歴史の上で、個人の数十年なんて何もできやしないのだから。

いわば、延命して生きながらに死んでるような人はさ、虚無なのかもしれないよ。

周囲の人はその人が生きててくれて嬉しいこともある思うけどさ、別に、死ぬべくして死ぬ方が嬉しいと思える世の中だったらいいのに。

別れなんて誰にでもいつか来るのだから。

生きてることが善、正しい、なんて価値観ぶっ壊れてしまえばいいのに。

そんなもんがあるから、介護疲れで家族を殺す人が生まれるんだよ。

いや、それは違うか。この問題はそんな単純なことじゃないかもしれない。

衰えゆく自分はきっと辛いんじゃないかなと、思うけど。

徐々に衰えていく感覚がわからないうちに死んだ方が苦しくないんじゃないか。

高齢者が車を運転できなくなったのを認めたくない気持ちもわからなくはないし、

衰えてもなお、死のうとはならないのもわかる。

これまで常識だった価値観を、現代の常識にアップデートするのはものすごく大変なことだと思う。

それが当たり前に求められる。常識だから。

自分が当事者になった時もきっと、そう思うだろう。

それに、自分の親や祖父母が死んでしまうことなんて、考えただけでも苦しくて死にそうだ。

だから、そういう感情がぶっ壊れてしまえばいいのに。

共にある今に全力で幸せを感じ、死ぬときは「さよなら」と言って別れ、そのあとは記憶だけを胸に秘めて、それすらも幸せだと感じられればそれが一番いいのにな。

死をあまり安易にしすぎると、殺人が増えそうだから、それは問題だけども。

 

転校して別れた友達と、もう10年以上連絡を取っていない。

生きているのかもわからない。

この先も会うことはないだろう。

あの別れは、結局のところ「死」と何も変わらないじゃないか。

だから、別れの日は泣いたわけだが、転校する前もした後も死ぬほど泣いたわけだが。

でも、生きてるに違いないと思うから別に私は辛くない。

もう別れた時ほど思い入れも強くない。

そうだ、シュレディンガーの猫がいいのかもしれない。

意図的に会えない状態を作り出して、家族とは違う新しいコミュニティをそれぞれ作って、

生きているのかも、いつ死んだのかもわからない状態で、でもきっと生きてるだろうという希望的観測の中で暮らせば苦しくないかもしれない。

 

深く関係を作るから、別れが辛くなる。

だったら深い関係なんか作る必要はない。

その瞬間、瞬間を楽しめるだけでいいじゃないか。

それ以上の関係なんかいらない。

恩とか、信頼とか、絆とか、そんなもんいらねんだよ。

 

介護問題だって、人手不足だって、低所得だって、幼稚園が足りないのだって、ホームレスだって、この世の中が限界だからじゃないのか。

これだけの人口を幸せにして、満たすだけの許容量がこの世の中には既にないからじゃないのか。

 

じゃあお前が死ねと言われても、怖くてできないから、結局はそういうことなんだなあ。

みんなそうだから、そしてみんな自分の大事な人には生きていて欲しいから、そして他人の子よりも自分の子の方が大事だから、しょうがないんだ。

どうしようもない。この世の中は、人間がみんな幸せになれるようにはできていない。

 

じゃあ考えたって無駄だ。

そもそもなんの知識もない、思考力もない私のような人間が何か考えても、虚無にすぎない。

じゃあ考えるだけ無駄だから、考えない方がいい?

考えるのは苦しいから。

こういう遣る瀬無い思いを、創作にぶつけたりするんだろうけど。

ただのその場しのぎの産物で、何の解決にもなりゃしない。

どうしようもできないから、何も関係ないところにぶつけてるだけの八つ当たり。

どんなすごい作品も、全部ただの八つ当たりだと思うと、一体何の価値があるのだろうか。