そもそも姉との比較でしか自己を形成できないことが問題だ。

姉と比べて、お姉さんと比べて、何回言われたことか。

親からだって、先生からだって、自分自身からだって。

姉の方を先に知っている人間はみんな、姉との比較で私を捉えてきた。

 

姉よりも社交性があって、世渡り上手で、明るくて。

じゃあ社交性を失ったら?暗くなったら?私という自己は何にもない空っぽになってしまう訳ですか?

 

お姉さんと比べて社交的って、そんな狭い世界で自分を定義されて。

私は別に明るくなんかないのに、明るい人間なのかと勘違いして、明るくなろうとしてもきっと無理があって、もう何年も明るい自己なんかどこにもねえ。

それは転校したことが原因で、後天的な、ソーシャル的な要因。

そんな一つの出来事で変わってしまう「性格」や「自己」や「人柄」なんて脆いもんだろ。

性格なんて他者との比較でしか語れないくせに、何がそんなに重要なのかわからない。

誰も性格なんて定義できないんだよ。生きてる社会が一人一人違うのだから。

なのに性格で人間を捉えようとしないでほしい。とこの社会に文句を言ってみる。

なぜ能力ではダメなのか?能力もまあ相対的な評価でもあるけど、少なくとも人格や性格なんかより圧倒的に信頼のおけるものだと思うが。

嗜好だって、ほんの些細なきっかけで変わるのだから、嗜好で人間を語るのもどうなのか。まあ傾向はあるかもね。

 

クソクソクソ。私が私自身を姉との比較でしか形成してこなくて、きっと周りの大人もそうだったから、私はおかしくなってしまった。自己がわからなくなってしまった。

今じゃ虚無だ。何もない。縋っていた頼りない糸はズタズタだ。

苦しい。姉のいない世界では、私は自己を定義してもらえない。

 

矛盾している。姉との比較なんて偽りの自己形成なのに、しかし、姉がいないと自己を定義してもらえない。どうしようもない。虚無でつまらなくて、特記事項のない、むしろ特徴にはとても挙げづらいマイナス面しか持たない。

 

でもマイナス面でもいいと思ってしまっている。自己が自己を認識できる要素ならマイナスだっていい。プラスじゃなくたって、他者と、姉と差別化できるなら悪い点だっていい。とにかく自分はこういう人間なんだという確固たるアイデンティティが、どこかに何かほしいだけなんだ。

 

そんな思想だから、自分を良くしようという意識がなくなる。マイナスでもいいからと思えば思うほど、マイナスに偏る。どうしようもないクズになる。そして自己が嫌いになる。

 

矛盾している。短所でいいからとにかく自分自身がほしいと思いながらも、その短所のせいで自己をどんどん嫌いになる。

 

苦しい。どうしようもない。どうしたらいいかわからない。

 

長所をのばせよバカ。でもそもそも今の私には長所もなければ。そうなりそうな種すらない。

何を伸ばせばいいのかわからない。伸ばせる依り代がない。適当にこうなろうと思っても、自分とあまりにも乖離していると、長く続かない。そうはなれない。無理がでる。

 

自己じゃない、偽りでしかない。どこかが破綻し、ボロが出て、心がしんどくなって、結局最初からやり直しだ。

 

完全に詰んでる。どうしようもない。生きてるだけで自己矛盾してどんどん自己嫌悪になる。

それが辛いから深く考えるのをやめる。どんどんドツボにはまっていく。嫌いになっていく。